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大阪高等裁判所 昭和43年(う)571号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

被告人に対し、公職選挙法二五二条一項所定の五年間選挙権および被選挙権を有しない旨の規定を適用しない。

理由

本件控訴の趣旨は、大阪高等検察庁検事片岡平太提出の妙寺区検察庁検察官事務取扱検事斉藤正雄作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人田万清臣、同西岡芳樹連名作成の答弁書に記載のとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

論旨は、原判決の法令解釈適用の誤を主張し、原判決は、言論の自由を制限しうるためには、「明白かつ現在の危険」が存在しなければならないとし、選挙運動としての戸別訪問(以下単に「戸別訪問」という)は本来何ら実質的違法性を有せず、また買収、利害誘導等の不正行為と性質上の因果関係はなく、ただ単にこれらの不正行為が随伴するという関係にあるにすぎず、その随伴関係も必然的、不可避的ではなく、その関係の存在すら経験則上明らかではないから、戸別訪問それ自体には、これを禁止するために必要な危険の「明白性」の要件が欠けており、この要件を補うことなく戸別訪問を禁止した公職選挙法一三八条一項の規定は憲法二一条一項に違反し無効であると判断した。しかし、我が憲法においては、言論等の自由に対し「公共の福祉」による制限を認めており、公職選挙法が戸別訪問を禁止したのは、戸別訪問が選挙の自由、公正を害し、買収、利害誘導等の不正行為の温床となり、選挙人の投票の自由意思を制約し、その生活、住居の平穏を著しく害するおそれがあるなど「公共の福祉」に反するからである。しかるに、原判決が「公共の福祉」の概念について何ら分析評価することなく、アメリカにおいてさえもすでに存在意義を失っている「明白かつ現在の危険」の理論を我が国の憲法の解釈に導入して、戸別訪問禁止の規定を憲法二一条一項に違反するとしたことは、公職選挙法一三八条一項の解釈適用を誤ったものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

よって案ずるに、選挙運動としての言論その他の表現の自由は、憲法二一条に規定する基本的人権として保障され、立法によってもみだりに制限されないものであることはいうまでもない。しかし、選挙運動としての表現の自由といえども、これを絶対無制限のものとするときには、必然的に他の個人の基本的人権または社会的利益と衝突し、ひいては選挙の自由、公正、議会民主政治の健全性にも影響を及ぼすような結果を招くおそれがあるから、その表現の時、所、方法等につき合理的制限がおのずから存在しなければならない。憲法が「公共の福祉」をもってその合理的制限の基準としているのもその故であって、その制限の合理性は、制限の目的と方法、程度のもとで、表現の自由を制限することによって得られる利益と、それを制限しないでおく場合にもたらされる利益とを比較衡量し、前者の価値が高いと認められる場合に「公共の福祉」の名において表現の自由を制限しうると解するのが相当である。

そこで、公職選挙法一三八条一項が戸別訪問を禁止したことについて、その禁止に合理性があるかどうかについて検討することとする。本来、戸別訪問は、行為の性質自体としては、格別違法性を有するものでも、また買収、利害誘導等の不正行為とは性質上の因果関係を有するものでもなく、かえって選挙運動の方法としては最も自然なものといえるかもしれない。しかし、これを禁止するに至った立法の経過についてみるに、戸別訪問は普通選挙制の採用された大正一四年の選挙法以来禁止され、昭和二五年四月公職選挙法制定に際し、戸別訪問禁止を全面的に解除すべしとの意見が強く主張された結果、候補者が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪問する場合を例外として認められたのであるが、この例外規定のため脱法的行為の弊害が甚だしく、選挙人にとってはこの規定に藉口して一面識もない候補者、運動員らが一々自宅や勤務先などに訪ねてくることは迷惑であり、反面、候補者の側においても、この規定の故に多少なりとも関係のある選挙人に対しては洩れなく戸別訪問しておかなければならないといった行動に出て、予期しなかった弊害が出たために、昭和二七年の改正により右例外規定は削除され、再び全面的に禁止されるに至ったのである。この立法の経過に加え、我が国の選挙が選挙人と候補者ないし選挙運動者との間の義理や情実によって動かされる傾向が今なお根強く、公職選挙法施行後十数年を経過し、その間数多くの選挙が行なわれたが、つねに買収等の不正行為に汚染された悪質な選挙違反がくり返され、これら違反のうちのかなりのものが戸別訪問の機会を利用してなされているという裁判上公知の選挙の実態を考えてみると、戸別訪問によって個々の選挙人と直接対面して自由に投票の勧誘、依頼が行なわれるときは、買収、利害誘導等の実質的不正行為が容易に行なわれ、選挙人の投票の自由意思が制約され候補者の側でも無用不当な競争を余儀なくされるおそれが生じ、かくては、選挙の自由、公明、適正を確保し、民主政治の健全な発達を目的とする公職選挙法の精神に反する結果を招くこととなるものといわなければならない。戸別訪問が許されるためには、法と秩序を尊重する真の意味の民主主義の基本理念が候補者ならびに選挙人一般に一段と浸透し、選挙運動として戸別訪問を行なっても買収その他の不正行為が誘発されるおそれがなく、投票の自由意思も制約されるおそれもないとされる程度の水準に達することがまず要請されるのであって、我が国社会の現段階にあっては、戸別訪問を禁止する実質的な必要性があるものといわなければならない。そして、公職選挙法一三八条一項に規定する戸別訪問の禁止は、構成要件上、時、目的、方法の上から明確に限定された行為を対象とし、これによって制限される言論等の表現も右の要件に該当するものに限られ、これと関係のない事項について戸々に訪問して表現することは何らの制約も加えられていないし、その制限は違反があったとき初めて処罰されるという事後的抑制であるから、右禁止規定が不当に拡大されるおそれはないのである。以上の諸点を考えあわせてみると、戸別訪問を禁止することは、選挙の自由、公明、適正を確保するために必要やむをえないところであって、これがために言論等表現の自由が制限されることがあって、その制限には合理性があり、「公共の福祉」のため容認せらるべき制限であるというべきであるから、右規定が憲法二一条一項に違反するものということはできない。

原判決は、「明白かつ現在の危険」の理論を採って、戸別訪問の禁止は「明白性」の要件を欠いているというが、前記説示するところよりして、戸別訪問の禁止には原判決にいう「明白性」の要件が具備されているものというべきであり、また、右の理論が表現の自由に対する制限立法の合憲性審査ないしは法令の解釈上の基準として、一般に通用性を持たないものであるから、本件のように選挙の自由、公明、適正の確保の必要から戸別訪問が禁止され、その結果表現の自由が制限されるという場合に右理論を適用することは相当でないと考える。

してみると、公職選挙法一三八条一項の戸別訪問禁止の規定を憲法二一条一項に違反するとした原判決は右公職選挙法の規定の解釈適用を誤ったものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三八年一〇月に和歌山県那賀郡粉河町議会議員に当選以来、同議会議員をしているもので、昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員選挙に際し、和歌山県第一区より立候補した樋口徹の選挙運動者であるが、松本弘信と共謀のうえ、同候補者に投票を得しめる目的をもって、別紙一覧表記載のとおり、同月二七日、同選挙区の選挙人である同県伊都郡かつらぎ町中飯降一〇番地玉置新作外五名を戸々に訪問し、もって戸別訪問をしたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為は公職選挙法一三八条一項、二三九条三号、刑法六〇条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内で被告人を罰金三、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により公職選挙法二五二条四項を適用し被告人に対し同条一項所定の五年間選挙権および被選挙権を有しない旨の規定を適用しないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹沢喜代治 裁判官 尾鼻輝次 大政正一)

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